■ 7大陸最高峰制覇することを、セブンサミット 7-Summit と言います… | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■ | 夏の思い出 (ウニ捕り) | ||
北海道の南部、地図でいう尻尾の部分-函館から左側の半分を檜山郡と言います。桧山(ひやま)で有名なのは、江差(えさし)-『江差の五月は江戸にも無い』と言われ、その昔ニシン漁で栄えた北の街。全国的には『江差追分』で有名な街です。
交通は、函館から-江差線-終着駅が江差。一つ手前の駅が上ノ国(かみのくに)なのです。上ノ国から車で走ること、20分位-国道228号線を南へ松前に向かう。江差から松前のほぼ中間付近の海岸線途中に私の生まれ育った集落があるのです。日本海に面した狭い扇状地の小さな集落で、川を挟んで二つに分かれている。全国でも珍しい隧道式の港がある街なのです。松前への道は海岸線の切り立った崖の上にあり、隣の集落までは十三曲がりといわれる曲がりくねった上り下りの激しいワインディングロードが続く。その崖を降りて海岸に出ることができるのだが、道無き道…
獣道で断崖からは20m以上の落差。草木につかまりながら降りると 、ウニや鮑の捕れる穴場があるのである。 小学三年生ぐらい夏の楽しみと言えばウニ捕りです。ある日、私たちは友だちと誘い合わせてよくウニ捕りにいったものです。山道は遠く、熊が出るので海岸にそって歩くのが定番なのです。最初の難関は河口を渡ることです。川は深く子供の腰まであり、足をとられると海まで流される。大人から『海にもっていかれるから川尻で遊んではいけない』と言われていた。『もっていかれる』とは海に流されることで、海で死んだ子供を見たことがあったので恐ろしかった。水の流れを見ながら、少しでも浅そうなところを選んで慎重に渡った。渡ると岬の内側に造られた港があり、トンネルで海と繋がっている。岬には松前藩が置かれた頃の和人の館跡があり、その岬の下は『館の下』と呼ばれていた。友だちは防波堤のなかを泳いで渡り、泳げない私は足場の悪いトンネルの上を入り口に沿って登って降りた。トンネルの上から下を見ると防波堤のなかの黒い海面に、水を切った波紋が気持ちよさそうに広がっていった。何もかもが白く反射する真昼の太陽の下、大きな石がゴロゴロ散乱した海岸を黙々と歩いた。足場のよさそうな石をめがけ、飛び移るように歩き、岬の岩場を登っては降りる。 ウニ捕りの穴場は、沖に岩礁帯があり、波を遮り湾になる。背丈ほどの深さに真っ黒なウニが敷き詰めるようにいた。逆立ちするだけで、おもしろいようにウニが捕れた。短靴のまま、軍手をはめウニを入れる網を腰に結んだ。そして、海の中でゆらめくウニをめがけて逆立ちを繰り返す。潜って海中から空を見上げると、海面は透明なビニールの幕で覆われたようにゆらゆらと揺れ、その上で元気な夏の陽射しが踊っていた。ウニを手にすると、きらめき踊る光めがけて海面に出た。海辺でウニを割り、海水をくぐらせ手が紫色に染まるまで食べた。遊びすぎると、帰りが大変なことになった。夕刻になると潮が満ちて、岬に張り出した岩場のトラバースが難しくなる。来たときに通った岩は波が洗っている。波の打ち寄せるリズムを数え、大きな波が寄せたあとの間をとらえてすばやくトラバースする。とろい私は、いつもタイミングをうまく捉えることが出来ず、波にたたかれ海に落ちそうになった。一日陽に焼かれたけだるい体を、行きに渡った川に沈めて潮を洗い流し、家にたどり着いた。もちろん最後に待っているのは、河口を渡ることになる。遊び疲れているので体力もなくなっている。みんなで声をかけあって乗り切ると、まもなく家路だ。 日長一日、夏休みの海遊びは、最高の冒険だったことは言うまでもない…。 ※短靴(たんぐつ)~当時は、長靴(ゴム長)の素材と同じもので、現在のスニーカーのようなカタチになっている。今でもあるのかなー? |
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